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阪神・淡路大震災から30年「まるで戦場…」震災の記憶・教訓を未来に生かすために
2025.01.17 18:58
県広域消防組合 消防本部 警防部長 丸本千彰さん
「まるで戦場に来たような…悲惨な状況だというのがその時の感想ですね。」
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とする阪神・淡路大震災が発生しました。観測史上初の震度7を記録。災害関連死を含めた犠牲者は6434人、住宅被害は約64万棟にも及びました。当時、神戸市内で救助活動を行った人がいます。奈良県広域消防組合 消防本部の警防部長、丸本千彰さんです。震災当時は28歳、入庁10年目の若手隊員でした。
県広域消防組合 消防本部 警防部長 丸本千彰さん
「まさか自分たちがそこに行くことになるとはその時まったく思ってもなかったんですけども、阪神高速の倒壊現場など、テレビで見ていた現場が自分の目の前にあるということで…。戦争の経験はないですけど、まるで戦場に来たような、そういった印象を持ったのを今でも鮮明に覚えています。」
奈良県から応援に入った隊員の担当エリアは神戸市長田区。古い木造家屋が密集し、延焼による大規模火災に見舞われた地域です。丸本さんは救助隊として、倒壊家屋などに取り残された人はいないか1軒1軒見て回りました。しかし、担当エリアに入るまでにも苦悩があったと話します。
県広域消防組合 消防本部 警防部長 丸本千彰さん
「(倒壊家屋に)手書きで『中に人がいてるよ』とか、家族の方が家の前で『この家も探してほしい』というようないろんな要請を受けながらも、担当エリアに対してまず活動を行うような状況。1人でも多くの方を助けたいという気持ちはありながらも、『こちらも探してほしい』『こちらも探してほしい』…でも自分たちの力ってそんなに大きくなくて、時間もかかる中で、助けたいけど助けないというのが非常に多くて、心苦しいというか、そういう気持ちが多かったように記憶しています。」
震災発生後から1月25日までの間、県内の消防からはのべ593人の隊員が出動しました。しかし当時、全国の消防による応援体制は構築されておらず、応援部隊と地元部隊の連携などが課題となりました。また、道路が寸断されて車両が入れなかった場所が多数あり、がれきや倒壊した家屋を撤去するための機材の不足という課題も残りました。
そして1995年6月、全国の消防機関が互いに援助を行う「緊急消防援助隊」が創設されました。
県広域消防組合 消防本部 警防部長 丸本千彰さん
「国をあげての応援体制が整備されまして、初動から素早い体制で災害対応が全国的にできるというように大きく変わりました。国からもいろんな資機材が、無償貸与であったり、補助金を利用しての配備がされるようになったことで、それぞれの各消防本部の消防力が非常に上がった。」
丸本さんは能登半島地震でも「緊急消防援助隊」として出動し、第2陣の大隊長を務めました。
災害状況がつかめないなか、道路が寸断され消防車両が被災地に入れなくなるなど、阪神・淡路大震災と共通する課題があったといいます。そして面積の7割が森林という奈良県でも、山間部を中心に道路の寸断に備えた準備体制が必要と話します。
県広域消防組合 消防本部 警防部長 丸本千彰さん
「道路幅を広げたりとか、消防だけでない地域を通じた防災対策というのも、非常にこれから重要になってくるのかなと思います。自然災害というのはいつ起こるかわかるかわからないので、やはり経験するのと見聞きするのでは大きく違いはあると思いますけども、実体験をしている者がしっかりと話で伝えたり、写真で伝えたり、そういった災害を忘れないように次の災害に向けての準備をしていただくためにも、機会を選ばずにしっかりと伝えることが大事かなと思います。」
阪神・淡路大震災から30年。その間も各地で災害が発生し、課題がつき付けられてきました。災害に備え、その被害を抑えるために教訓を生かした不断の努力が求められます。
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